top of page

三日間だけ、町が唄になる

10月7日
読了時間: 4分

越中八尾 おわら風の盆


毎年9月1日から3日まで、富山市八尾町の坂の町に、胡弓と三味線の音が流れます。おわら風の盆。夜を通して踊りが続く、三日間の行事です。


Paper lanterns line the slope while the crowd waits

三百年余

起源は元禄15年(1702年)とされます。町の運営に必要な文書が戻ってきたことを祝い、三日三晩、町を練り歩いたのが始まりと伝えられています。以来三百年あまり、この町は九月の三日間を手放していません。

八尾は、井田川に向かって斜面に張りついたような町です。石畳の坂、格子の家並み、坂の下に広がる夜景。この地形が、おわらの見え方を決めています。

江戸期の八尾は、飛騨と富山を結ぶ街道の要にあたり、繭と生糸の取引で栄えました。和紙や売薬も町を潤しています。その経済力が町人の文化を育て、おわらもそのなかから生まれました。豪華な行事ではなく、町が自分たちのために続けてきた行事だという性格は、いまも変わっていません。


町流し。唄と楽器を先頭に、踊りながら通りを進む

十一の町

おわらを踊るのは、西新町、東新町、上新町、諏訪町、鏡町、東町、西町、今町、下新町、天満町、福島の十一の町です。町ごとに法被と浴衣の柄が違い、唄も踊りの間合いも少しずつ違う。自分の町の区域を、唄と楽器を先頭に立てて踊りながら進んでいく。これを町流しと呼びます。


浴衣と法被の柄は町ごとに異なる


踊り手は編笠を深くかぶり、顔がほとんど見えません。男踊りは低い姿勢で直線的に、地面を掴むように進みます。女踊りは「四季踊り」とも呼ばれ、手の返しで季節を表す。もうひとつ、農作業の所作を写した豊年踊りがあり、こちらは見物する側も輪に入れます。


男踊り。編笠で顔を隠し、低い姿勢で通りを進む


音は三味線と胡弓、太鼓、そして唄。三味線が旋律を運び、その後ろを胡弓が追いかけます。この楽器が入ることで、おわらの音は他の盆踊りとはっきり違ったものになります。声を張り上げるのではなく、低く抑えた唄が坂を伝って降りてくる。


夜が更けてから

日が落ちると、通りにぼんぼりが灯ります。町の名を記した紙のあかりが等間隔に続き、坂の上まで登っていく。日中の八尾とは別の町のように見えてきます。


下新町のぼんぼり。町ごとに名が記されている


石畳の坂に人が座り込み、踊りを待つ


見どころは時間とともに移ります。夕方は各町の踊りが重なり、人出も多い。夜が深まるにつれて観光客が減り、町の人たちの踊りが静かに続きます。踊りの合間、人がまばらになった通りを歩く時間そのものが、この行事の一部です。

見物にはひとつだけ作法があります。踊りが通り過ぎるとき、拍手や声をかける人はほとんどいません。唄と楽器の音を途切れさせないためで、誰かが決めたわけではなく、そういう見方が続いてきました。


子どもたちも踊る。町の行事として受け継がれている

おわらのない日の八尾

三日間以外の八尾も歩く価値があります。諏訪町本通りは石畳と白壁、格子戸の町並みが続き、日本の道100選に選ばれています。通りの脇を流れる用水「エンナカ」の水音は、残したい日本の音風景100選に入っています。城ヶ山公園まで上がれば、町を一望できます。

八尾和紙をいまに伝える工房があり、紙漉きを見ることも、染めた紙を買うこともできます。毎年5月3日の曳山祭では、井波の彫刻、城端の漆工、高岡の彫金を集めた山車が町を巡ります。おわらのために整えられた町ではなく、もともと豊かだった町がおわらを育てたのだと、歩くとわかります。


訪ねる前に

三日間で相当な人出があり、八尾町内の宿は早くから埋まります。富山市中心部やその周辺に泊まり、JR高山本線か臨時バス、あるいは車で向かうのが現実的です。町なかは坂と石畳が続くので、履き慣れた靴が要ります。九月初旬の富山は日中は暑く、夜は冷えることがあります。

雨が降ると踊りは中断されます。楽器が湿気に弱いためで、各町がそのつど判断して再開します。中止ではなく中断であることは、覚えておくと待ち方が変わります。


訪ねる

越中八尾 おわら風の盆

富山県富山市八尾町(毎年9月1日〜3日)

9月1日・2日は17時から23時、3日は19時から23時。

JR富山駅から高山本線で越中八尾駅まで約25〜30分。駅から旧町の中心部までは徒歩約30分。期間中は交通規制と臨時ダイヤがあります。

 
 
bottom of page