鑿の音が聞こえる町
南砺市・井波、木彫刻と門前町を歩く
石畳の通りを歩いていると、どこからか木を削る音が聞こえてきます。富山県南砺市井波。およそ200名の彫刻師が暮らし、いまも仕事をしている町です。

八日町通り。格子戸の町家と石畳が、瑞泉寺まで続く
寺が技を育てた
町の成り立ちは、井波別院瑞泉寺と切り離せません。1390年に開かれたこの寺は、たびたび火災で失われ、そのつど地元の宮大工の手で再建されてきました。1763年からの再建では、京都の本願寺から御用彫刻師の前川三四郎が招かれ、井波の大工がその技を受け継ぎます。寺社を飾るための彫刻は、やがて欄間や獅子頭といった、家のなかに置かれる工芸へと広がっていきました。
寺の再建という仕事が絶えなかったこと、そして門前に職人が住み続けたこと。この二つが重なって、ひとつの町に彫刻師が集まる状態が三百年近く保たれてきました。井波彫刻は1975年に国の伝統的工芸品に指定され、2018年には「宮大工の鑿一丁から生まれた木彫刻美術館・井波」として日本遺産に認定されています。

町の入口に立つ看板も、彫られている
八日町通り
瑞泉寺の表参道にあたる八日町通りが、町歩きの中心です。格子戸の町家と石畳が続き、その両側に彫刻師の工房、蔵元、菓子屋、蕎麦屋が並びます。看板は当然のように木を彫ってつくられ、軒下にもバス停にも、彫られたものが置かれています。歩いているあいだじゅう、どこかの工房から木を打つ音が届きます。
工房は開いていて、作業を見せてもらえることが多い。ある工房では、彫刻師が欄間の下絵を広げて説明してくれました。図案を描くところから彫り上げるところまでを、一人が受け持つ。井波の彫刻師は200本から300本の鑿を使い分け、他の道具に頼らず鑿だけで木肌に艶を出すといいます。

欄間の下絵を広げる彫刻師。図案から彫りまでを一人が担う
扱う材は欅や楠が中心で、大きな一枚板は割れが出ないよう何年もかけて乾かします。材を選ぶところから仕事は始まっていて、彫り始めるまでの時間のほうが長いこともある。
通りに面した壁には、代表的な欄間が展示されています。厚い一枚板を表と裏の両方から彫り込み、透かした向こう側にも景色が成立するようにつくられている。同じ板の表で花鳥、裏で山水、といった具合です。

一枚板から彫り出された欄間。裏側からも別の絵が見える
ガラスケースのなかに、一匹のカレイがいました。木を彫ったものです。鰭の一枚一枚、鱗の一枚一枚まで刻まれ、木であることを忘れそうになります。技を見せるためだけにつくられる、こうした仕事が井波にはあります。

木彫のカレイ。井波では「超絶技巧」と呼ばれる系統の仕事
猫を探す
この町にはもうひとつの歩き方があります。通りのあちこちに、木彫りの猫が置かれている。軒下、看板の上、店先。三十匹ほどいるとされ、探すための地図も配られています。名前がついている猫もいます。

軒下に座る猫。名前は「イーナ」
彫刻の町らしい遊び方で、子ども連れでも、写真を撮りに来た人でも、同じ通りを二度三度と往復する理由になります。
瑞泉寺
通りを抜けた先に瑞泉寺があります。総欅造りの山門には龍と天女が彫られ、くぐると正面に本堂が現れます。1885年の建立で、木造の寺院建築としては北陸最大級。隣に建つ太子堂は1918年の完成で、こちらも国内有数の規模です。

瑞泉寺の門前。石柱の先に山門が見える

雨の本堂。木造の寺院建築としては北陸最大級とされる
訪れた日は雨でした。濡れた木肌は色が濃くなり、軒の彫刻の陰影が深くなる。人が少なく、雨音のほかに聞こえるものがない。晴天だけがいい日とは限らないと思わせる時間でした。
泊まって、通う
井波には、町に分散して客室を構え、職人のもとで彫刻を教わることのできる宿があります。日帰りでは工房の見学までですが、泊まれば、木を削る時間そのものを持ち帰ることになります。夕食は町の蕎麦屋や料理店で取り、朝はまた通りを歩く。滞在の形が町の構造とそのまま重なっています。
南砺市は五箇山の合掌造り集落や城端の絹織物にも近く、井波を起点に一帯を回ることができます。毎年5月3日に富山市八尾町で曳く曳山にも、井波の彫刻が使われています。産地は、思っているよりも互いに近い場所にあります。
訪ねる
井波(富山県南砺市)
北陸自動車道 砺波ICから車で約15分。金沢駅から車で約1時間、富山駅から約50分。
八日町通りの散策は自由。工房見学や彫刻体験を受け付けている工房もあり、まちの案内所で相談できます。井波別院瑞泉寺は拝観料が必要です。
